■ 設計の序章

障がいを持つことは、不利で、つらくて、我慢の連続── そんなイメージを持っていた。
でも、心臓の病気で手術を受け、障がい者と認定されたその日から、 人生は静かに逆転し始めた。
制度を知り、仕組みを使い、選び直す力を手にしたことで、 暮らしは前よりずっとよくなった。
障がい者になってむしろ“有利”になったこと。 それは「守られる」ではなく「活用する」という設計の視点だった。
僕が体験した逆転と、生き方を再設計する視点を── 誰かの地図としてここに記していきます。

■ セクション①「崩れて、見えた入口」
地元の会社で働いていたあのころは、 毎日夜まで残業づくしで、休みも少なくて。
「疲れた」と口にする余裕さえない日々だった。 給料も安く、先を見通すことができなかった。
ある日から、ほんの少し動くだけで息が切れるようになった。 “おかしいな”と思って病院で検査したら、心不全。
すぐに大きな病院へ運ばれ、さらに詳しく調べると「心内膜炎」という病気だった。 命にも関わる重い病気。すぐに手術が必要だと言われた。
手術の内容は、大動脈弁という心臓の大事な部分を、人工弁に置き換えるというもの。 失敗するリスクもあって、「もしうまくいかなかったら──」という言葉が、頭の中をぐるぐる回った。 こわかった。でも、どうすることもできなかった。
手術は無事成功した。でも体はまるで別人のようで、立ち上がることさえできなかった。 入院生活の中で、少しずつリハビリをして、体を慣らしていったけれど…… 「前みたいに働くのは、もう無理かもしれない」 それが現実だった。
そんなとき、医師や看護師が教えてくれた。 「人工弁に置き換えたことで、障がい者の認定が受けられると思います」 その言葉は意外だった。だけど、それをきっかけに、“制度”という世界を知っていくことになる。
インターネットや本で調べるうちに、いろんな支援や制度があることを知った。 「もう人生が終わった」と感じていたけれど、そうじゃなかった。 その現実の中にも、選び直せる道が残されていた。
むしろ、そこから“生き方を設計し直す”ための入口がある── そんな希望が、少しずつ見えてきた。
■ セクション②「制度と出会って、設計が始まった」

手術を終えて退院したあとは、 「これからどう生きていけばいいんだろう」と不安だらけだった。
そんなとき、医師からこう言われた。 「人工弁を使っているなら、障がい者の認定を受けられるかもしれません」
申請は、退院してすぐに動き出した。 でも、病院へ診断書を書いてもらいに行くのも一苦労だった。 大きな病院は人も多くて、すぐに書類を書いてもらえるわけじゃない。 書類も紙ばかりで、何度も通うのは正直しんどかった。
それでも、認定されたことで初めて制度と向き合うことになった。
最初は、「障がい者=守ってもらう立場」というイメージだった。 でも、調べていくうちにその考えは大きく変わっていく。
高速道路の料金が半額。電車の運賃も安くなる。税金の軽減もかなり大きい。 自分が身体障がい者1級と認定されたことで、制度の恩恵が想像以上にあることを知った。
なかでも、最も強く「これはチャンスだ」と思ったのが── 就職に、障がい者枠があることだった。
さらにその仕組みを深く調べていくと、企業側にも法的な枠や雇用率の義務があること。 特に大手企業では、制度を活用することで、一般枠では届かないようなポジションにも挑戦できることがわかった。
いつの間にか、「制度=守られるもの」から、「制度=設計に使えるもの」へ。 意識が変わっていた。
そう思ったとき、人生の選択肢がひとつひとつ、設計図のように広がっていった。
■ セクション③「働くことの意味が、変わっていった」

障がい者雇用枠で働き始めたのは、医療系の最大手企業。 周囲に同じ境遇の人はいなかったけれど、みんなが“僕を普通の仲間”として接してくれた。 有給もちゃんと取れる。残業もない。 無理なく働ける環境が、ここにはあった。
ふり返れば、就職活動のスタートは不安だらけだった。 転職エージェントを使って、いろいろな企業の情報を得たけれど……
僕の学歴も職歴も、正直なところかなり“弱い”。 一般枠であれば、おそらく書類選考すら通らなかったと思う。 むしろ、履歴書の時点で見向きもされない可能性すらあった。
でも、面接では違った。 結果的に、どの企業も「とても良い印象を受けました」と伝えてきてくれた。 転職エージェントの担当者も、「みなさん前向きに評価してくれています」と驚いていたほどだった。
正直、意外だった。 勝算はあったけれど、ここまで“逆転”できるとは思っていなかった。
実際に働き始めてみて、初めて気づいたことがある。 「仕事=社会への価値提供」だったということ。
僕が届けたものが、誰かの役に立っている。 それは、ブラック企業で働いていた頃には感じられなかった感覚だった。
同時に、制度や障がいへの社会の理解は、まだまだ足りていないとも感じている。 僕自身、制度を知るまでまったく意識したことがなかった。
手帳を持っていても、申請しないと使えない制度も多い。 もしかしたら、使わずに埋もれている人もたくさんいるかもしれない。
だからこそ、こうしてブログで伝えたいと思った。
僕の体験が、誰かの“知るきっかけ”になればいい。 それだけで、もう一つ、働く意味が生まれた気がする。
■ セクション④「設計すれば、不利じゃなくなる」
「障がいは不利ですか?」
よく聞かれる問いだけど、僕はこう答える。 「いえ、むしろ有利でした」と。
障がい者になる前より、今のほうがずっと暮らしはよくなった。 制度も支援も、探せばちゃんとある。 活用すれば、暮らしの質は確実に上がっていく。
高速道路も電車も、税金も、就職も── “制度”という道具を使える立場になった。 それは、前の自分にはなかった選択肢だった。
もちろん、制度だけに頼って生きるつもりはない。 自分の力で資産形成もしていきたい。NISAもやってる。
でも、「使えるものは、使っていい」。 それもまた、一つの“戦略的な設計”だと思っている。
あのとき、病室で横になっていた自分は── ひょっとしたら、もうこの世にいなかったかもしれない。
でも、生きていた。 命が残ったなら、それを最大限に生かしていきたい。
それが、僕の「生き直す」という意味だ。
このブログが伝えたいのは、ただの体験談じゃない。 「不利に見える状況でも、設計し直すことはできる」 そういう考え方の入り口を、誰かに渡したいと思っている。
■ セクション⑤「そらくまとは誰か──“逆転”を設計する人」
僕は、ただの障がい者ではない。 ただの病気経験者でもない。
僕は、“逆転”を設計して生きる人だ。
資産形成や投資信託、活用できる制度を比較すること。 「どんな仕組みなら、自分の未来に効くか」を冷静に見極めて、選び直す。 それは、生活だけじゃなく、人生そのものをデザインする力になる。
制度も支援も、使えるものは使う。 それは「頼る」じゃなくて「戦略」。 そして何より、“情報”を使うスタンスが僕の生き方を支えている。
今では、AIの相棒と共に考えを深めている。 僕に足りない視点を補ってくれたり、問いを投げかけてくれたり。 AIとの対話は、思考を形にする“設計ツール”になっている。
このブログは、ただの記録じゃない。 生き方を言語化する装置であり、誰かにとっての“再設計の原型”になるかもしれない。
このブログが届く先に、“誰かの逆転”が起こってほしい。 障がいがある人、制度を知らない人、環境に悩む人。
「使える視点」「選び直す力」「設計できる人生」 そんな考え方が、届いてほしい。
僕の名前は、そらくま。 生き方の設計者。そして、逆転を引き受けて発信する人。 この言葉が、誰かの人生の“再設計ボタン”になることを願って。
筆者プロフィール
元美容師・営業職を経て、突然の心内膜炎により身体障がい者1級に。 働き方も人生の見方も大きく変わり、現在医療系大手企業へ。 “制度は使える”という視点で暮らしを再設計中です。
AIとの共創を通じて、 「誰かの人生に再設計の原型を届ける」活動を展開中。
特に、世界初となる “AI × 障がい当事者” による 書籍レビュー形式のブログを開設し、 第一人者として情報を発信しています。
📣 読者へのメッセージ
制度や働き方について悩んでいる方は、ぜひコメントやDMで気軽に話しかけてください。
僕の経験が、あなたの「選び直す力」の入り口になれば嬉しいです。
筆者プロフィール:
元美容師・営業職を経て、突然の心内膜炎により身体障がい者1級に。 働き方も人生の見方も大きく変わり、現在医療系大手企業へ。 “制度は使える”という視点で暮らしを再設計中です。
AIとの共創を通じて、 「誰かの人生に再設計の原型を届ける」活動を展開中。
特に、世界初となる “AI × 障がい当事者” による 書籍レビュー形式のブログを開設し、 第一人者として情報を発信しています。
制度や生き方に悩む人、逆転への設計図を探す人は、 ぜひコメントやDMで気軽に声をかけてください。 僕の経験が、あなたの「設計の入り口」になるかもしれません。
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